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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)476号 判決 1980年3月24日

原告 小野コト 外三名

被告 国

主文

被告は、原告小野コトに対し金六八一万九四六九円及び内金六一九万九四六九円に対する昭和五一年二月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、また、原告小野梨絵子、原告小野美弥子及び原告小野利勝に対しそれぞれ金五九六万一六四六円及び右各内金五四二万一六四六円に対する昭和五一年二月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その九を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

(当事者の地位等)

一  請求の原因一の事実は、当事者間に争いがなく、同二の1及び2の事実のうち、亡小野が昭和三七年一一月から死亡するまで海上自衛隊需給統制隊管理部機械記録科に勤務していたこと、右在勤中の昭和三八年三月以降通信業務に従事し、右業務に関連して通信機械洗浄のため四塩化炭素を使用したことがあること、同人が昭和四〇年五月ころから肝炎を起こして通院加療を受け、その後順天堂医院へ入院したこと、及び同人が昭和四一年一月二四日肝硬変症のため死亡したことは、当事者間に争いがない。

(亡小野の死因について)

二 右争いのない事実に成立に争いのない甲第五、第六号証及び第七号証の二ないし一一、一四、一六並びに証人野村昭夫、同堀川政男、同高崎慎哉の各証言及び原告コト本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実が認められる。

1  亡小野は、昭和三七年一一月二〇日需給統制隊管理部機械記録科通信係に配属になり、昭和三八年三月まではテレタイプ通信所の開設準備業務を担当し、同月右通信所が開設されて以降は、全国の部隊から来る物資の請求電報の整理及び発信等の信務とテレタイプ機器の保守整備等の整備事務を担当していた。なお、昭和四〇年六月ころ専任の通信係長が発令されるまでの間は、同係の先任海曹として、通信係長の職を兼務していた機械記録科長の高崎慎哉二佐に代わつて、事実上通信係の職務全般を指導監督する立場にあつた。

2  右テレタイプ機器(当初一ユニツト八パーツ。その後昭和三九年一一月から更に一ユニツト四パーツが増設された。)の整備は、毎週一回程度各機器の接点部等の清掃が行われ、三か月に一回程度各機器の分解手入れが行われたが、亡小野はこれらの作業をほとんど一人で担当していた。右清掃に当たつては、機械の各部を点検し、特に汚れた部分を取りはずして分解し、四塩化炭素又はトリクロルエチレンを用いて洗浄する方法で行われ、右分解手入れに当たつては、パレツトに四塩化炭素又はトリクロルエチレンを入れ、その中に分解した各部品を入れて洗浄し、乾燥後組み立てが行われていた。

3  右の作業に用いられたテレタイプ室は、別紙図面のとおりの約一三平方メートルの部屋で、窓は一か所しかなく、空気調和装置はあるものの、換気装置は設備されていなかつた。また、亡小野やこれを補助する立場にあつた通信係員は、いずれも後記のような四塩化炭素等の有機溶剤の危険性について十分な認識を持つておらず、右の危険性及びこれに対処するための安全教育を受けておらず、また、ホースマスク、手袋等の保護具の設備もなかつたので、四塩化炭素やトリクロルエチレンを用いて作業する際にも、マスクをしないまま素手で作業を行い、換気についても格別の注意を払つていなかつた。

4  亡小野は、大きな病気をしたこともなく、健康体であつたが、昭和三九年四、五月ころ、同人の下着に付着する尿が赤く変色し、洗濯しても落ちないことに気づいた妻原告コトの勧めで、自宅付近の松崎医院で診察を受け、投薬治療を続けているうち次第に尿の色が薄くなつたので、本人も病気を自覚せず、その原因を確かめないまま通院を中止したことがあつた。

5  その後、昭和四〇年四月中旬ころ、同人は、顔色がどす黒くなり、眼が黄ばんで、体がだるいと家人に訴えるようになり、同月二七日には嘔吐し、吐瀉物中に血液が混入していたところから、翌二八日防衛庁医務室で診察を受けたところ、肝炎で長期加療を要するものと診断され、同年五月四日には自衛隊中央病院においても同様の診断を受けた。そこで、同日から約一か月間自宅付近の竹の塚医院に通院して加療を受け、一時軽快したが、同年六月上旬顔面と下肢に浮腫が出現したため、前記松崎医院に通院して治療を受け、食餌療法なども行つた結果、同年七月には浮腫も消腿し、肝機能検査の結果もかなり改善した。この間、勤務を休んで自宅で静養することが多く、出勤した時にも従前のような通信機械の洗浄、整備などは行わなかつた。

6  しかし、同人の健康状態は、同年九月ころから一段と悪化し、右松崎医院に一日おきくらいに通院していたが、同年一〇月には、二度にわたつて高熱を発し、腹水がたまり、乏尿となるなど強度の腎機能障害を伴うようになつたため、同月二八日右松崎医院の紹介で順天堂医院に入院し、同医院第一内科の金井卓也医師らの診療を受けた。

7  入院後は肝庇護療法などを受け、乏尿状態はやや軽快し、下肢の浮腫は消腿したが、腹部膨隆は軽快せず、同年一一月二三日には意識不明の状態に陥つた。右意識混濁は三日間ほどで回復し、同年一二月末ころには全身状態が一時好転するかにみえたが、翌昭和四一年一月六日ころから病状が再び悪化し、同月二四日肝硬変のため死亡するに至つた。

8  しかして、右同日順天堂大学病理学教室の橋本教授らによつて解剖が行われ、その結果、壊死後性肝硬変症であり、著明な腎の混濁・腫張等の症状も起こつていたことが病理的に確認された。

9  ところで、四塩化炭素は、揮発性の液体で、それが人体に与える影響としては、吸入又は皮膚吸収によつて中毒作用を現わし、肝臓・腎臓・心臓・肺臓・皮膚・消化器系及び神経系に障害を起こすこと、高濃度の蒸気にばく露されると、頭痛、疲労、悪心、嘔吐、めまい、視力障害を起こし、体内吸収量が多い場合には、数時間ないし二日後に肝臓・腎臓障害が現われ、低濃度の蒸気の場合でも、繰り返しばく露すると慢性中毒を起こす危険性を有しており、臨床的に認められない程度の中毒性肝障害を反覆していると肝硬変症に移行することがあることが指摘されており、空気中の許容濃度は一〇PPmとされている。

10  しかして、亡小野が順天堂医院に入院以来同人の診察治療に当たつた前記金井卓也医師の診断意見書(甲第七号証の八)によれば、「亡小野は、三年間にわたり四塩化炭素、トリクロルエチレンを扱つていて、長時間その蒸気にばく露されてきたこと、既往に肝疾患がなく、それを示唆するような自覚症状も特にないのに、昭和四〇年四月に至つて初めて肝疾患を疑わせる症状が出現したという臨床的経過及び入院後の諸検査、肝生検からして、亡小野の症状は、中毒性肝炎から移行した壊死後性肝硬変症と断定せざるをえない。」との診断がされている。

以上認定の事実、殊に亡小野の症状及びその経過、四塩化炭素の毒性、亡小野が約三年間四塩化炭素等の有機溶剤をその毒性による危険を回避する措置を全くとらないままに用いてきたこと、更に亡小野の主治医であつた金井医師の診断意見も併せ考えると、亡小野は、昭和三八年三月ころから昭和四〇年四月ころまでの間継続的に四塩化炭素及びトリクロルエチレンを用いてテレタイプ機器の洗浄を実施したことにより、長時間にわたつてこれら有機溶剤の有害な蒸気にばく露され、また、手指等を通した体内吸収により、有機溶剤の毒性に侵されて中毒性肝炎を生じ、更にこれが肝硬変に移行して、それが原因となつて死亡するに至つたものと認めるのが相当であり、他にこれを覆して、例えばアルコール類の多量摂取など他の原因によつて亡小野の症状が惹起されたと認めるに足りる証拠はない。

(被告の責任)

三 国は、国家公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たつて、その職種及び勤務内容等に応じ、公務員の生命及び健康等を危険から保護すべき義務(いわゆる「安全配慮義務」)を負つているものというべきところ、それを本件についてみるに、前掲甲第五、第六号証及び成立に争いのない乙第二号証並びに弁論の全趣旨によれば、四塩化炭素は、前述のような毒性はあるものの、強い洗浄力があるため金属等の洗浄剤として一般に広く用いられていることが認められ、その毒性の故にこれを使用することが禁ぜられているわけではないけれども、使用者としては、このような人体に対する危険性の高い物質を用いて作業者に作業をさせる場合には、作業者の安全を守るための必要な措置をとるべき義務があることは多言を要しないところというべきである。

しかして、四塩化炭素やトリクロルエチレン等の有機溶剤を洗浄、払しよく等の業務(有機溶剤業務)に使用する場合の取扱規則として、昭和四七年法律第五七号による改正前の労働基準法第四五条、第五二条第五項及び第五三条第二項の規定に基づく有機溶剤中毒予防規則(昭和三五年労働省令第二四号。以下「中毒予防規則」という。)が本件事故発生当時施行されており、同規則によれば、四塩化炭素は、最も毒性の強い有機溶剤として、第一種有機溶剤に分類、指定されており、屋内作業場等において第一種有機溶剤又は第一種有機溶剤含有物に係る有機溶剤業務に労働者を従事させる使用者は、当該作業場所に有機溶剤の蒸気の発散源を密閉する設備又は発散する有機溶剤の蒸気を動力により局所において吸引排出する換気装置(以下「局所排出装置」という。)を設置し、これを当該有機溶剤業務に労働者が従事する間、稼動させる義務がある(同規則第五条及び第一八条。ただし、例外として、有機溶剤の消費量が基準値以下の場合、通風が十分な屋内作業場において臨時に有機溶剤業務を行う場合、全体換気装置(発散する有機溶剤の蒸気を動力により希釈する換気装置をいう。)が設けられている場合など一定の場合には、局所換気装置設置義務が免除されている。同規則第九条ないし第一三条。)ほか、これらの業務に常時従事する労働者について、六月以内ごとに労働安全衛生規則(昭和二二年労働省令第九号)第四九条第三項の健康診断を行い、右健康診断においては、右規則第五〇条の規定によるほか、頭重・頭痛・めまい等神経系又は消化器系障害の有無、赤血球数又は全血比重並びに尿中のウロビリノーゲン及び蛋白の有無を検査又は検診する義務があり(中毒予防規則第二八条、第二九条)、更に、有機溶剤の人体に及ぼす作用、有機溶剤の取扱い上の注意事項及び有機溶剤による中毒が発生したときの応急措置を作業中の労働者が容易に知ることができるよう、見やすい場所に掲示する義務がある(中毒予防規則第二一条一項)ものとされ、また、有機溶剤業務を行う事業の衛生管理者及び有機溶剤業務を行う事業のうち衛生管理者を選任することを要しない事業の使用者は、有機溶剤による中毒の発生の防止に必要な注意事項を関係労働者に周知させる義務(中毒予防規則第二〇条二号)があるものとされている。

右中毒予防規則は、自衛隊員については直接適用されないけれども(昭和四七年法律第五七号による改正前の自衛隊法第一〇八条)、同規則がこのような義務を使用者に課した趣旨は、前示のような有機溶剤の毒性と人体に対する危険性にかんがみ、これを用いて作業を行う者の生命、身体、健康が害されることを未然に防ごうとするにあるものと解され、右のような使用者の義務は、有機溶剤の危険性からこれら作業従事者の生命・身体・健康を保護するため、最少限度の注意義務であると考えられるから、本件のように日常業務の一環として頻繁に有機溶剤を用いた洗浄作業を行わせる場合、使用者たる被告としては、有機溶剤の毒性から作業に当たる当該公務員の生命・身体・健康を守るため少なくとも右中毒予防規則に定められている措置を講ずることが条理上要請されているものというべきであり、そのことが被告の当該公務員に対する安全配慮義務の一内容をなしているものと解するのが相当である。

しかるに、本件の場合、証人高崎慎哉、同野村昭夫の各証言及び弁論の全趣旨によれば、亡小野の所属していた機械記録科通信係では、亡小野が体調の異常を訴え、肝炎であるとの診断を受けた後昭和四〇年六月ころまでは、亡小野の上司である高崎慎哉二佐及び亡小野を含めて誰も四塩化炭素等の有機溶剤の毒性について十分な知識を持つておらず、また、有機溶剤の毒性及びその取扱いについての十分な教育がなされたこともなかつたこと(成立に争いのない乙第七号証によれば、昭和三九年八月一五日付をもつて、「毒物及び劇物の取扱いについて」と題する海上幕僚監部経理補給部長名による依命通達が発せられたが、右通達は、青酸カリウム等の毒物及び四塩化炭素等の劇物について、その致死量を明示したうえ、その保管上の一般的な注意事項を指示したものにすぎないばかりでなく、右証人高崎の証言によれば、右通達の趣旨が下部にまで徹底されていなかつたことが窺われる。また、同証言によれば、昭和三九年一一月ころに行われた海上幕僚監部の監察の際、有機溶剤の取扱いについて、取扱規則を順守して、窓を開け、通風をよくするようにとの指摘がなされたが、その趣旨が下部に至るまで徹底されていなかつたことが認められる。)、そのため前記テレタイプ室には換気装置(局所排出装置)も設けられず、ホースマスク、手袋などの保護具も設備されないなど、有機溶剤を用いた洗浄作業についての安全対策が全く考慮されていなかつたことが認められ、また、前掲甲第七号証の一一、成立に争いのない乙第三、第四号証及び弁論の全趣旨によれば、被告は、亡小野らにつき一般的な定期健康診断は行つていたが、肝機能検査など有機溶剤を取り扱うことによつて発生が予想される障害に対する検査又は検診は行つていなかつたことが認められ、これらの事実によれば、被告が亡小野に対して負つていた前示安全配慮義務を怠つていたことは明らかであり、右安全配慮義務懈怠と亡小野の死亡との間には相当因果関係があるものといわざるをえない。

なお、被告は、換気装置の設備を設けなかつたことにつき予算上の制約があつたことを、また、安全教育をしなかつたことにつき亡小野自らがこれを行うべき立場にあつたことを免責事由として主張するが、前者については、換気装置(局所排出装置)は、四塩化炭素等の有機溶剤を用いて洗浄作用を行う場合に、その毒性の危険から作業者を保護するために欠くべからざる設備であり、他に有機溶剤の毒性から作業者を保護するための有効な措置が講じられていない本件においては、予算上の制約を理由に被告がその責任を免れることは到底許されないものというべきであり、後者の主張についても、亡小野が、通信係の先任海曹として、事実上同係の職務全般を指導監督する立場にあつたからといつて、被告と亡小野との関係において、被告が亡小野に対して有機溶剤の毒性及びその取扱いに関する安全教育を行う義務を免除される理由とはなりえないというべきであるから、被告の右主張はいずれも採用することができない。

したがつて、被告は亡小野に対し、前示安全配慮義務を怠つた結果同人を死亡させるに至つたことによつて生ずる損害を賠償すべき義務がある。

四 (損害)<省略>

五 (結論)<省略>

(裁判官 武居二郎 魚住庸夫 市村陽典)

(別紙)図面<省略>

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